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2024年12月10日火曜日

<続き2>・2022年 別居

  別居をはじめ、自分の経済状況を調べ始めたところから


 俺と元妻が結婚したのは2004年6月。デキコンで長男は翌年の1月に誕生した。

 その翌年2006年にも第2子の娘が生まれた。当時俺32歳、嫁24歳。

 俺は転勤族だが、たまたま地元に転勤していてその中での結婚・出産だった。

 親も近くにいるし実家も歩いて行けるぐらい近くにあり、しかも母親同士ももと同じ

 職場にいたり、兄弟同士も知り合いだったり、なんせ不便なく生活できていた。


 しかし、やがて次の転勤する時期となった。今思えばここから少しずつずれてきていた

 のかな?と思う。

 最初、転勤にはついていきたくないと言っていた。俺は家族ごと転勤するものだと思っ

 っていたから、「え?!」と思った。

 よくよく聞くと、少し前にとった資格をもとに店を開きたいとのこと。それには親や

 親類が近くにいる地元が良いということだった。

 その資格も結構なお金を払ってとるもので(後からわかったことだが要はマルチ商法

 だった)それを生かしたいとの理由。資格はエステ系のものだった。


 俺:別に転勤しても使えるからって言ってたじゃん

 元妻:子供が小さいからできない

 俺:大きくなってからやれば?

 元妻:今やらないとだめなの!

 

 やっぱり今思うとマルチ商法だよね・・親ネズミから今じゃないとだめ!って言われ

 てたんだろうな・・・この時は俺もバカだったので気づいていなかった。

 で、色々話すうちに、向こうの母親同伴ならいいということになった。母親に子供

 の面倒を見てもらうということだ。

 まあ、一緒に来てくれるならいいか。と思いすごく自分では悩んだがOKした。

 だっていくら仲が良くても気まずいでしょ?向こうの母親と同居するんだよ?

 


 で、2008年(だったかな?)~転勤先で資格の店をオープンさせたが2年

 ぐらいで後塵に後を任せて退き、(多分親ネズミにはなれなかったのでしょう)

 今度は地元に戻って福祉の仕事をすると言い出した。そのベースを作りに私は

 先に地元に戻ると言って一人で帰っていく。

 その間、相手の母親を子供2人との生活。気まずい・・・

 

 で、上の息子が小学校に上がるタイミングで母親と子供も地元に帰っていった。

 この時は一体何なの?と思っていたが一先ず独身に戻った。ここからの期間が

 別居期間。今思うとずっとストレスだったなと思う。酒飲んでもこの時期は荒れてい

 たと思う。周りにはいい顔していたけど・・・



 元妻は福祉の仕事をするといいつつ、飲み屋の仕事をしていた。(元々飲み屋)


 2012年に俺は転勤で本社に呼ばれた。この転勤後もしばらく別居生活。

 2013年に出世が見込めたのでもう本社のまま転勤はないだろうということで

 マンションの購入を決める。

 子供の教育にも都会がいいとか言いくるめて本社のある地域に家族を呼んだ。

 この辺が10年前になる。この辺の入出金もかなり怪しい。今日引き出ししたと思った

 ら翌日も引き出すこともあったり。

 地元にいたころから何かあったんだろうな。きっと。

 

 俺は出世コースに乗ったのと仕事が忙しいことで毎日夜遅くまで働き、週末はぐたぐた

 という生活になった。

 

そんなことを思い返しながら10年間の必要ないと思われる金額を計算していくと

 数百万になった。そんなに何に使いこんでいるんだ?

 別居中にもう一度聞いてみた。


俺:母親のローン返済については納得する。ほんとは相談してほしかったけど。

元妻:言ったら怒るでしょ?

俺:怒りはしないでしょ。言わないほうが怒ると思うよ。普通。それはいいとして

   友達の借金の肩代わりは何なの?

元妻:友達が旦那に言えない借金を作って、それを補填するため。

俺:なんでお前がそんなことすんの?

元妻:何とかしてあげたいから。

俺:借金までして?

元妻:・・・

 たしかに元妻は「俺が何とかしてやる」みたいな変な男気を持っているが・・

俺:じゃあ別れたらその友達に慰謝料請求するね

元妻:バイナリーオプション(ギャンブルのようなもの)をしていました。

俺:なんで?

元妻:あなたも昔やってたし、老後のたくわえが欲しくて。

俺:・・・・


 別居以降、直接話はしていなくてLINでのやり取りだけど本当にそうなのか?

 考えれば考えるほど混乱していく。

 このあたりから酒が増え、睡眠ができなくなっていく。



 で、とうとう倒れて入院することになった。

 朝、シャワー浴びて上がって首を回したら周りの景色が回ってぐるぐるになり立ってい

 られなくなった。強烈な吐き気とめまい。もう死ぬんだと思った。

 上司にメールを打って休むことを伝えた。(後からメール見ると何言ってるかわから

 なかった。めまいと休むことは伝わっていた)


 昼頃、動けるようになりタクシーを呼んで病院へいった。「右頸椎動脈剥離」と言われ

 すぐ入院となった。「着替え等は家族の人に持ってきてもらって」と言われたけど

 別居中で同居者はいないので自分で取りに行きたいことを伝えると、あなたは血圧

 が戻るまで1歩も病院から出たらだめです。と言われた。

 しょうがないので別居中の元嫁に連絡し、入院することになったので着替えをもってき

 てほしいことを伝え、持ってきてもらうことに。ただ、面会謝絶なので看護師が受け取

 てくれた。その時に看護師が「心配かけたらいけないので大したことないよと伝えて

 置きました」と言われた。

 後から聞くと元妻が子供たちに「大した事ないのに落ち込んでるんだって(笑)」と

 伝えたらしく、ちょっと腹立った。



 原因はストレスと睡眠不足とのこと。後遺症も残るかもしれないのでリハビリ頑張りま

 しょうと言われた。一瞬退職することも考えた。

 

 血圧が下がるまでずっと点滴でトイレにも行けない状態。(初めて尿瓶を使った)

 3日ほどで血圧が落ち着き、ようやく自由に動けるようになり、リハビリ開始。

 幸い後遺症もなくリハビリも順調だったが退院に7日間ほどかかった。

 お金がない中入院費等、手痛い出費だった。これが6月のこと。


 どう考えても元妻のせいで睡眠不足やストレスが出たが子供に大したことないと言って

 いたりが重なり、元妻がお金を貯めるのと下の子が高校卒業するまでは待とうと思った

 が別居場所やその光熱費など元妻のためにお金を使っていくことが馬鹿らしくなり、な

 るべく早く離婚してほしい事を申し入れた。


 いまから部屋を探すので早くて10月末との回答。もう少しでこの暮らしも終わる。

 子供は2人とも向こうについていくことを覚悟していたが。上の子は今のとこに住んで

 いたいとの理由で俺についてくることが決定。下の娘は向こうについていくことになっ

 た。財産分与もなし、慰謝料もなし、養育費もお互いなしとなった。向こうからLINE

 で「今までありがとう」と言ってきたが、ムカついていたので2度と会いたくないと

 打った。ちょっと大人げなかったな。

 


 

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